「アフリカのディズニーランド」 -ジンバブエの明るい未来-
このほど選挙が行われ、現職のロバート・ムガベ氏が大統領の座を維持したジンバブエ。
いつだったか、「ジンバブエは私のものだ」と発言して物議を醸した、あのムガベ大統領ですが、
これで大統領の座に33年座り続けていることになるそうです。
大統領の独裁的支配、選挙時の不正、ハイパーインフレ。
ジンバブエというとそんなネガティブなイメージがつきまといますが、
どうやらそのジンバブエが、「夢の国」の建設を計画しているようです。
(原文:http://www.theguardian.com/world/2013/aug/26/zimbabwe-disneyland-africa-tourism, accessed 28th Aug, 2013)
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
経済破綻と政治暴力で悪名高いジンバブエの役人たちは、自国のイメージ刷新を図ろうと、「アフリカのディズニーランド」の建設を目論んでいる。
同国の観光大臣によると、政府は同国随一の観光地であるビクトリアの滝のそばに、約300億円でテーマパークを建設する計画だという。
大臣が「アフリカのディズニーランド」と呼ぶこのテーマパークには、ショッピングモール、銀行、展示場、そしてカジノなどの娯楽施設を設置する予定で、ビクトリアフォール国際空港の近くには、ホテルとコンベンションセンター用に既に1200ヘクタール(1200万㎡)の土地を確保している。
大臣は言う。
「ジンバブエに住んでいる人もそうでない人も、誰でも銀行口座を開設できるバンキング・センター。こういうものを備えた自由区域を作りたいのです。」
政府はさらに150億円を投資して、同地の空港を拡張する意向だ。
すでに、金融機関を含む資金拠出者が見つかっているという。
ジンバブエの観光産業は長きに渡る紛争とハイパーインフレで大打撃を負ったが、近年は回復してきている。
政府によると、2013年最初の四半期にはジンバブエを訪れる観光客の数が17%増加したそうだ。
政情が安定していれば、2015年までに観光産業はGDP(国内総生産)の15%を稼ぎ出すことになると予想されている。
現在、ビクトリアの滝のある町では、隣町と共催で、国連世界観光機関の総会が開かれている。
異論は多いがおおむね平和裏に行われた先月の選挙に続き、国連機関の総会を共催しているという事実は、ジンバブエの安定へと向けたひとつの道標と捉えられている。
しかしながら、ジンバブエを共催国に選んだことは、残忍で腐敗した権威主義政権を支持することであり、最悪のタイミングで間違った正当性を与えてしまったと、人権団体は批判する。
「選挙結果の改ざんや人権侵害の報告の只中にありながら、国連会合を開催することによって、ジンバブエに国家としての正当性を与えてしまった。
国連がジンバブエを美しい観光地に作り変えようとなどという考えは、率直に言って、反吐が出る。」
ムガベ大統領が国連お墨付きの「観光リーダー」として認識されることに対しても、33年の長期政権の批判者からは疑問が呈されている。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
「ディズニーランド」と言っても、ディズニーキャラクターが闊歩する本物のディズニーランドではなく、アフリカの一大アトラクションということですね。
観光客のための「夢の国」。
もし実現するとすれば、
ジンバブエの民の目には、どう映るのでしょうか。
消えゆく自然、消えゆく生活 -ケニア・マサイマラ国立保護区-
更新に間が空いてしまいました。
日本ではエジプトに関する報道が続きますが、
今回は日本人観光客にも人気のケニア・マサイマラ国立保護区に関する記事をお伝えします。
(原文:the guardian http://www.theguardian.com/travel/2013/aug/23/masai-mara-tourism-politics accessed on 24th Aug 2013)
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
車両は突然停止し、サファリガイドが言った。
「あそこだ、見ろ」
エンジンを切った静寂が辺りを包む。
ガイドの指差す方向に、チーターの頭が見える。
数百メートル向こうに、別の車両がもう一台。4人の観光客の頭が見える。
と、地平線の向こうから突如白いミニバスの一群が現れた。
5分としないうちに、辺りには30台の車両が集結した。
乗客にサファリの人気者を見せてやるため、運転手達はラジオで連絡を取り合うのだ。
しかし、チーターはこんな状況で狩りをしない。
いつの間にかチーターは視界から消えていた。
ガイドによると、こういったことはここマサイマラでは毎日起きるのだという。
地球上で最も見ごたえのある自然現象のひとつが、タンザニアからここマサイマラを目指す100万頭以上のヌーの大移動だ。
しかし、ここでも喜ばしくない変化が起こりつつある。
この大移動を目撃するために毎年、何千人もの観光客が入れ替わり立ち代り飛行機でやって来る。
周辺地域に住み着く人が増え、あちこちに小屋が建てられている。
観光で得た金は、腐敗のせいでもともとマサイに住んでいる人々には届かない。
生活のために、マサイの人々が木炭生産や農業に転向する事例が増えている。
この地域の生態系の研究者は危機感を募らせている。
「何か抜本的な対策を早急に講じなければ、この保護区は遠くない未来になくなってしまう」
野生動物がここで生きていくためには、広大で多様な土地が必要だ。
しかし、保護区を囲む小屋は何キロにも及ぶ電気フェンスを設置しており、急速に拡大するスラム街も次第に電化される可能性がある。
土地に対して飼育されている牛が多すぎる。
小麦畑が拡大している。
人間が出す廃棄物は埋め立てられるか投げ捨てられる。
すでに環境に影響が出始めている。
肥料の使用のせいで川に藻が浮ている。
ヌーがタンザニアから渡ってくるマラ川は2009年に完全に枯渇した。
動物の振る舞いすら変わってきている。
観光客を乗せた車の屋根に乗るチーターもいれば、
お客からチップを貰うために屋根に乗るように仕向けるガイドに辟易しているチーターもいる。
ここ数十年の間、保護区周辺の共有地をそこの住人に割り振る政策がとられてきた。
しかし、ある男性に割り当てられた土地は長年住んできた土地とは遠く離れた不毛の地であった。
当局から交付された権利証書の彼の名前の下には、消された別の名前が半分見える。
証書には、消しゴムで消そうとして開いた穴まである。
「これは私のもともと所有していた土地じゃない。当局が改ざんしたんだ」
マサイの人々は不信により分断されつつある。
教育を受けた少数派がそうでない多数派を搾取している。
訴訟は絶えず、政治的動機付けによる未解決の殺人も多い。
武装警察による強制退去が夜間に行われる。
マサイの社会はどんどん貨幣化され、電子機器による通信が増え、車両が普及し輸入食品が流通している。
保護区の恩恵を受けられず、またそれを保全する誘因もないために、
マサイの人々は保護区を破壊してしまう。
古いアカシアの木を木炭として切り売りし、木がなくなればその土地を小麦畑にする。
小麦を育てた方が、保護区として利用するよりも3倍程度高い収入を得られるのだ。
ある日本人のビジネスマンは、保護区を管轄する当局に
約360億円で保護区周辺の住人を20キロ離れた土地に移住させる提案をしたという。
当然、それは強制移住を意味する。
マサイの土地の値段は裕福な投資家に釣り上げられてきた。
その結果、マサイの人々は土地を売ってその地を離れてしまう。
そしてまた動物もいなくなる。
ここ30年でケニアのロイタ平原から移動してくるヌーの数は9割減少し、わずか3万頭となった。
同じ期間に、野生動物の数は最大で7割減少したと言われる。
一方で、保護区内で不法に飼育される乳牛の数は11倍となった。
ゾウやサイの密猟ばかりが取り沙汰される一方で、ハイエナやライオンの数は激減している。
英国国営放送の番組にも出演するベテランのサファリガイドは言う。
「ここは野生動物の土地なんです。
私たちはそこへ侵入した。
侵入者として、私たちは引き際を知っておかなければならないのです。」
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
雄大な自然とそこに生きる野生動物、人間。
一部の人間の利益のために、その共生のバランスが崩れていることは明らかです。
日本の皆さんが観光でマサイマラや他のサファリへ行こうとするとき、
こういった背景に少しでも思いを巡らせてくれれば、
それが何かのきっかけになるのかもしれません。
エジプト抵抗運動の内幕
日本でも連日報道されているエジプトの前大統領支持者による暫定政権への抵抗運動ですが、
今回はその内側にせまった記事を見つけたのでこれを日本語で要約してお伝えします。
ソース:the guardian "Morsi supporters in Egypt pledge to die rather than disband protest" (http://www.theguardian.com/world/2013/aug/12/egypt-cairo-mohamed-morsi-camps) accessed on 13th Aug. 2013
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------
エジプト、東カイロのモスクの外に集うモルシ前大統領の支持者たちは、暫定政権による強制排除の脅威にも屈さず、もう2週間も座り込みを続けている。
ある主婦はこう語った。
「死ぬことなどどうだっていい。私たちには一つの信念がある。
時が来れば、皆死ぬ。
問題は、勇敢な殉教者として死ぬか、臆病者として死ぬかなのです。
私たちは殉教者として死にたい。」
7月3日に大統領の座を追われたモルシ氏の復権という抵抗運動参加者たちの要求が暫定政権に聞き入れられる見込みは日に日に薄くなっている。
反対に、抵抗運動の参加者たちの身の危険は日に日に増すばかり。
すでに二度、抵抗運動の参加者に対する大規模殺戮が政権に容認された。
政権側は座り込みの強制排除を明言している。
このような政権側の動きにも関わらず、座り込みキャンプは一層組織化され、守りを固めつつある。
さらなる流血のおそれを知りつつも、抵抗運動の参加者はどこへも行かない。
参加者の一人である教員はこう語る。
「座り込みキャンプが月曜日に攻撃されるという噂を聞いた時、私は走って戻ってきた。
私が死のうと死ぬまいとどうだっていい。」
一方で、キャンプ内に強力な兵器が蓄えられている可能性も指摘されている。
さらに、拷問の痕のある遺体がキャンプ周辺で見つかったと伝えられていることから、キャンプ内に拷問部屋があるのではないかという疑惑も存在する。
抵抗運動の参加者は、キャンプで暴力を受けるのは泥棒とスパイだけだと主張する。
抵抗運動の主力であるムスリム同胞団の広報は、
「泥棒はしかるべき報いを受けるが、その後にはキャンプの外に解放する」と語る。
また、抵抗運動の参加者はただ単に殉教したいだけで、西洋のうぶな感性につけこんでいるのだと見る者もいる。
これに対し、参加者側は、彼らは現状を本当に遺憾に思っており、もし抵抗をやめて暫定政権から何の保証もとりつけずに元の生活に戻れば、今以上の危険にさらされるのだと主張する。
そして、最近の暫定政権による殺戮を見れば、彼らにとって有効な保証といえばモルシ氏の復権より他にない。
参加者の一人はこう話す。
「私は永久にここにいるつもりだ。私たちの大統領が戻ってくるその時まで。
私たちは皆、民主主義に票を投じた。
しかし、一部の人々が広場に集まって、私たちの票をゴミ箱に捨てたんだ。」
抵抗運動の参加者も一枚岩ではない。
ムスリム同胞団の幹部は暫定政権との妥協を模索しているとの見方もある。
収監されている同胞団幹部を解放することを条件に、座り込みをやめるというものだ。
しかし、ムスリム同胞団のメンバーも含め、抵抗運動参加者の大部分は、このような妥協案を裏切り行為と見るであろう。
もしこのようなことになれば、抵抗運動参加者の間、そしてムスリム同胞団の内部に大きな亀裂を生じさせかねない。
ある参加者はこう語る。
「ないね、そんなことありえないよ。ムスリム同胞団の人間が妥協に応じるはずがない。
このために死んだ人がいるんだから。
もし同胞団の指導者が妥協に応じなんてしたら、人々は彼らから離れていくよ。」
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
補足ですが、イスラムの教義において、人は殉教すれば天国へ行けるとされています。
これが人々を自爆テロに身を投じさせる背景でもあり、
この記事で触れられているように
「殉教するために」座り込みに参加する、という見方の出所でもあります。
圧制、迫害、貧困の中で苦労して生きることよりも、
殉教して神のもとへ行くことの方が魅力的に見えるとしたら、
殉教を望む彼らを止めることは容易ではないでしょう。
民主化は彼らに何をもたらしたのでしょうか。
民主主義とは何でしょうか。
エジプトにおける一連の出来事は、
日本の政治にもつながる普遍的な問題を提起しているように思います。
苦しみを翼に -ギニアの子供からの手紙-
Meanwhile in Africa... 最初の記事はこれと決めていました。
これは最近のニュースではありません。
これは私が大学院で文献を読み漁っているとき、何度も目にした有名な事件です。
時は1998年8月。ベルギーの首都ブリュッセルに降り立った飛行機の着陸ギアの部分から、
二人のギニア人少年が遺体で見つかりました。
14歳のYaguine Koita君と、15歳のFode Tounkara君。
彼らは、ヨーロッパの人々に宛てた一通の手紙を携えて、飛行機のギアに潜り込んだのです。
ギニアの首都コナクリから、海を越え陸を越えて、遥かなる希望の地、ヨーロッパ へ。
彼らを決死の旅路に着かせたのは一体何だったのでしょうか?
以下が、彼らの手紙の日本語訳です。
原文に何箇所か、文法的正確性を欠く部分がありましたが、全体の趣旨を考慮して訳してあります。
我々はアフリカとどう関わるべきなのか?
彼らの手紙を読めば、少し考えが変わるかもしれません。
(原文はJames G. Fergusonの'Of Mimicry and Membership: Africans and the "New World Society"'掲載のものを採用しています。)
-------------------------------------------------------------
ヨーロッパの閣下、各位、並びに公人の皆様、
この手紙を書くことで、あなた方に僕たちの旅の目的と、僕たちアフリカの子供・若者の苦しみについてお話しできることを大変名誉に思います。
僕たちはあなた方に信頼を置いています。
まずはじめに、挨拶をさせてください。
これはこの世で一番甘美で愛おしく、尊敬に満ちた、生きとし生けるものからの挨拶です。
そして、これに免じて、どうか僕たちアフリカの人民を支え、助けてください。あなた方でなければ、僕たちは一体誰に助けを求めればいいと言うのでしょう。
お願いですから僕たちを救いに来てください。あなた方の美しい大陸と、その人民、あなた方の家族、そして何よりもあなた方が命と同じように愛してやまない子供たちへの愛情を思い出してください。
そしてまた、あなた方に良き経験と富を与え、またヨーロッパ大陸をうまく構築し、組織し、現在のように最も美しく慈しむべき大陸たらしめる力を与えた創造主、全能の「神」の愛と優しさを思ってください。
ヨーロッパの各位並びに公人の皆様、僕たちは、僕たちを救いに来てくれるよう、あなた方の親切心と結束に訴えているのです。
どうか、僕たちを助けてください。
僕たちはアフリカでとてつもない苦しみに耐えています。
助けてください、僕たちはいくつも問題を抱えているのです。
子供の権利が保障されていないこともそのひとつです。
僕たちが抱えている問題は、戦争、病、栄養失調など様々です。
子供の権利について言えば、アフリカ、特にギニアには、学校はたくさんありますが、教育や指導が全然足りていません。
私立の学校に行かなければ良い教育や指導を受けられませんが、それにはかなりのお金がかかります。
僕たちの親は貧しく、僕たちに食べさせるのに精一杯です。
サッカーやバスケットボールやテニスをするための施設もありません。
ですから、僕たちアフリカ人、特に僕たちアフリカの子供や若者は、あなた方に、アフリカが進歩できるようにするための、偉大で効果的な組織を設立してもらいたいのです。
そして、もし僕たちが、この手紙を届けるために僕たちの命を犠牲にする結果になっていたとしたら、それは僕たちがアフリカで苦しみすぎているからなのです。
僕たちがアフリカで貧困と闘い、戦争を終わらせるためには、あなた方の助けが必要です。
けれども、僕たちの最大の願いは、勉強することです。
僕たちが勉強して、アフリカであなた方と同じようになれるように、どうか力を貸してください。
最後に、あなた方のような身分の高い方々に、不躾にもこんな手紙を書いてしまったことをどうかお許しください。僕たちはあなた方を本当に尊敬しています。
僕たちがアフリカの力の弱さを訴える相手はあなた方しかいないということを、どうか忘れないで。
二人のギニアの子供たちより。
-----------------------------------------------
苦しみを翼に、命を賭してこの手紙を世界に知らしめたYaguine Koita君とFode Tounkara君に、せめてもの弔意と最大の敬意を捧げます。
開設のご挨拶
Meanwhile in Africa へようこそ。
ここは、日本で報道されないアフリカにまつわるニュースを、
海外の大手ニュースサイトの英文記事に基づき、
日本語で発信するサイトです。
なぜアフリカか?
それはアフリカが著者の個人的な関心事項だからです。
著者は早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業後、
開発援助の仕事で東アフリカのエチオピアへ赴き、そこでアフリカと出会いました。
もともといわゆる発展途上国の生き生きした空気が好きだった著者は、
美しいエチオピアの地でアフリカに魅了されました。
その後、1年ほど西アフリカのナイジェリアにて就業したのち、
この程、英国はオックスフォード大学にてアフリカ研究の修士号を取得しました。
翻訳の経験はありませんが、アフリカの今を正しく皆様にお伝えできればと考え、このサイトを開設致しました。
アフリカは日本においてしばしば誤解されています。
それは、ひとつには、
日本のメディアが発信するアフリカの情報がネガティブなものに偏っているためです。
そして、根本的には、
日本から遠く、歴史的にもほとんどつながりのないこの巨大な大陸が、
日本人の積極的な関心の対象となりにくいために、
アフリカに関する情報そのものに対して、日本にあまり需要がないのです。
ですから当然メディアはセンセーショナルな事件や世界的な流行を反映した記事しか書きません。
著者はこの情報の偏りと不足を少しでも正したいと思っています。
なぜならこの偏りと不足は、しばしばアフリカに対する間違った認識を生むからです。
皆さんのアフリカのイメージはなんですか?
貧困?
部族対立?
少年兵?
エイズ?
独裁?
政治腐敗?
テロ?
どれもある一部地域のある時期において存在した、あるいは現在存在する事実です。
でもそれは「アフリカ」の普遍的事実ではありません。
私はアフリカで美しいものをたくさん見ました。
雄大な自然、
古来伝承の生活の知恵、
鮮やかな衣服、
動物と人間の共生、
市場の活気、
日々拡大する新興都市、
より良い未来を希求する人々。
もちろんこれも普遍的な「アフリカ」ではありません。
でもこれは、確かに今この時にこの大陸に存在する事実です。
ネガティブなニュースで日本人の思い描く「アフリカ」が埋め尽くされてしまわぬよう、
アフリカの明るいニュースを少しでも伝えていければと思います。
もちろん、芳しくない情報も発信しますし、
日本で報道されるニュースの詳細や続報も伝えられればと思います。
更新はそう頻繁にはできないかもしれませんが、少なくとも週に2回程度は新しい記事を準備できればと思います。
なお、ここは純粋な情報発信のための場でありますが、
疑問や感想等があればコメント欄にて歓迎いたします。
スパムや荒らし防止のため、コメントは承認制としておりますことをご承知置きください。
タイトルのMeanwhile in Africa... は、
一方その頃、アフリカでは・・・ という意味です。
日本の皆様が、手軽にアフリカの今を知ることができる場になるようにと願って。
2013年8月5日