Meanwhile in Africa...

アフリカで今起こっていることを日本の皆様に正しくお伝えするため、海外大手ニュースサイトの記事を日本語で要約して発信します。

世界難民の日に寄せて -世界最大の難民キャンプの今-

6月20日は世界難民の日です。

 

難民と聞いて皆さんはどんな光景を想像しますか。

IS(イスラム国)から逃れるシリア難民。

戦火から逃れるイエメン難民。

リビアからヨーロッパを目指して決死の地中海航海に臨むアフリカ諸国・中東諸国の難民。

そして小さなボートで漂流するミャンマーロヒンギャ族

ここ最近、難民にまつわる話題は随分世界を騒がせてきました。

 

では、世界最大の難民キャンプはどこにあるかご存知でしょうか。

日本でもよくテレビに登場する、シリア難民を受け入れているヨルダンのザアタリ難民キャンプは人口約8万人。

この春日本でも公開された映画「グッド・ライ ~いちばん優しい嘘~」の舞台となったケニアのカクマ難民キャンプは人口約18万人。

 

世界最大の難民キャンプは、人口約35万人を擁するケニアのダダーブ難民キャンプです。

ダダーブ難民キャンプはケニアの北東部、ソマリアとの国境付近にあります。

ソマリアでの内戦を逃れて逃げてきたソマリア難民を収容するため、1991年に設立されました。

今は2015年ですから、このキャンプはもう四半世紀もこの地に存在しているのです。

そして、四半世紀をこのキャンプで、難民として生きている人々がいるのです。

 

世界難民の日に寄せて、色々な援助機関関係者が難民のストーリーを発信しています。

今回は、ダダーブ難民キャンプで、そして世界各地で支援活動を行う国境なき医師団のケニア代表Gaudry氏が書いた記事を紹介します。

(ソース:GAUDRY: A plea for dignity for Dadaab refugees - Blogs | Daily Nation

 

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ほんの数か月前、国境なき医師団の患者の一人が、第三国定住の申請を却下されたことで自殺を図った。

このような悲劇は、ダダーブ難民キャンプのように、何十万もの人々がより良い明日を思い描くこともままならず暮らす場所においては、起こるべくして起こるものだ。

彼らはキャンプの外へ出る際には旅行許可を取得しなければならない。たとえ目的が緊急の医療措置を受けるためであっても。

彼らの生活はほぼ完全に援助に頼っている。

援助に頼った生活とは、つまり、半乾燥地帯にいながら運が良くても一日たった20リットルの水しか使えないことであり、ビニールシートで作られた仮設住宅で暮らすことであり、いつ減らされるかわからない毎月の食糧配給に頼るということだ。

 

受けられる援助の量は国際社会の「寛容さ」次第だ。その上、世界の他の地域の人道危機によっても左右される。他地域で危機が拡大すれば、全世界的な援助予算がそちらにより多く振り分けられるようになるのだから。

実際、つい先日(6月11日)からケニアのキャンプでの食糧配給を3割減らすことがWFP(世界食糧計画)から発表された。追加の予算が確保されない限り、この措置は9月まで続くという。

 

難民には理論上3つの選択肢、つまり、①母国への帰還、②第三国(アメリカや欧州諸国等)への再定住、③亡命先の国への統合、がある。

ダダーブ難民キャンプで暮らす難民はほとんど母国ソマリアへの帰還を望まない。

ソマリアでは今も紛争が続いている上、ダダーブで生まれた難民も多く、そういった難民はソマリアへの愛着をほとんど、あるいは全く持たないからだ。

第三国定住の許可は毎月数十人にのみ与えられる稀なものだ。

ケニアに永住するとしても、結局のところ難民にはキャンプに留まる以外に方法はない。

このようにして、一時的な措置として作られたダダーブ難民キャンプは、永続的な存在となってしまった。

 

現在のところ、唯一現実的な戦略として検討されているのが、ソマリアの治安回復を支援して、難民の母国への帰還を促すことだ。

しかしソマリアの紛争は長引いたままで、ソマリアを拠点とするイスラム過激派武装組織アル・シャバーブがケニアでテロ行為を繰り返すたびに、ソマリア難民が大多数を占めるダダーブ難民キャンプはテロリストの温床であるとしてケニア政府の非難の矛先となってきた。

 

キャンプの治安は悪化している。難民の暮らす状況は受け入れがたい水準だ。

国際社会は別の解決策を模索しなければならないのではないだろうか。

簡単な解決策などないだろう。

それでも我々は長期的な解決策を見つけなければならない。

この事実上の監獄で暮らす何十万もの人々に尊厳を取り戻すために。

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この記事の筆者はダダーブ難民キャンプを事実上の監獄(原文ではopen-air prison)と呼びました。

四半世紀を閉ざされたキャンプで暮らす難民の苦境を示す言葉としては、決して誇張ではありません。

 

少し前に、難民の少年へのインタビューを読む機会がありました。

今欲しいものを聞かれた少年は、こう答えました。

「僕らに武器をください。そうすれば、僕らを村から追いやったテロリストと戦うことができる。」

 

世界の歴史はいつも戦争の歴史でした。

悲しいけれど、世界から争いごとが消える日など来ないでしょう。

難民と呼ばれる人々がいなくなる日も来ないでしょう。

 

それでも、世界は変わらなければならないし、私たちはそのために何かができるはずです。

武器を欲しがる少年が一人でも減るように。

一人でも多くの人が尊厳を持って生きられるように。

 

世界難民の日を契機に、一人でも多くの人が難民に思いをはせてくれれば、世界は少しだけ変わることができるのかもしれません。

 

聖戦士と"五人目の妻" -ナイジェリア少女誘拐事件の背景を読む-

更新が何か月も滞ってしまいましたが、その間にもアフリカでは色々なことが起こりました。

 今回は、日本でも盛んに報道されている、ナイジェリアでの少女集団誘拐事件を取り上げます。

 

ナイジェリアは筆者自身2011年に駐在していた思い出の地であり、ここのところ、今回の事件をはじめとしたナイジェリアの悪いニュースばかりが世界を駆け巡っていることを、個人的にとても悲しく思います。

 この事件は日本のオンラインニュースにも連日投稿されており、日本の皆さんもよく事態を把握されているものと思います。

しかし、その背景にまで切り込んだ記事は少ないのかなと思い、ここで取り上げることとしました。今回は、翻訳/要約ではなくて、色々なソースから情報を取ってきて(自分の知識もあわせて)まとめた記事です。

 

まず、今回の犯行を行った組織、ボコ・ハラムについて、以下の記事を見つけました。(ナショナルジオグラフィック日本語版「ボコ・ハラムとは何者か?」より)

「…5月に入り、ボコ・ハラムの指導者がビデオで犯行声明を出し、わずか9歳の少女たちを組織のメンバーと結婚させるか、奴隷として売ると宣言した。…」

 衛生テレビ・アルジャジーラの報道で聞いたところによると、誘拐された少女の大多数は12歳~15歳ですので、「わずか9歳の少女たち」とくくってしまうとかなり語弊があります。ボコ・ハラムの凶悪性を強調したいのだと思いますが、事実誤認を招く書き方は良くないですね。

しかし今回の主眼はこの点ではなく、その後の「組織のメンバーと結婚させるか、奴隷として売ると宣言」、この部分です。

 強制結婚か、奴隷か?少女たちは二つの(どちらも残酷な)未来のどちらかを強いられようとしているのでしょうか。

筆者もアルジャジーラの報道で知ったのですが、実はこの二つ、同じことを指しているようです。タイトルにした”五人目の妻”というのが、それです。”五人目の妻”とはどういうことなのでしょうか。詳細が気になったので調べてみました。

 

ボコ・ハラムが活動拠点を置き、シャリーアイスラム法)に則ったイスラム国家を築こうと画策しているナイジェリア北部は、イスラム教徒が多数を占める地域です。

同地域の主要民族はハウサ族(ナイジェリアには280程度の民族が存在しますが、大きく3つの民族に分かれると言われ、ハウサはその一つ)です。

 イスラムの戒律では、男性は同時に最大四人の妻を持つことが許されています。

ですから、”五人目の妻”は、イスラムの戒律では存在しえない、許されざる存在です。

しかし、ハウサ族の一部の男性には、”五人目の妻”が存在します。

ハウサ語で「サダカ(sadaka)」と呼ばれる”五人目の妻”は、既に四人の妻を持つ男性が、正式な妻としてではなく結婚した女性のこと。”妻”とは名ばかりで、その実は主人とその四人の正妻に仕える奴隷のようなもので、毎日家事や農作業をこなし、”夫”との性的関係も強要されるといいます。

「サダカ」という言葉は「施しもの」という意味で、もともとはアフリカで広く慣習化している「花嫁代償(bridewealth)」(婚姻時に新郎側親族が新婦側親族に金品を提供すること)を免除して娘を嫁にやる、という意味から結婚の一形態を表す言葉として使われるようになったようです。しかし、実際には、既に複数の妻を持つ男性に花嫁代償目当てで嫁に出される女性のことを指して使われます。(参考:UNTERM sadaka

この”五人目の妻”という慣習は、北に隣接するニジェールで現在も残る奴隷制として知られ、近年国内外から批判を受けています。ニジェールに住むトゥアレグ族は長くカースト制を維持しており、その最低カーストが奴隷です。奴隷は代々受け継がれるもので、現在の奴隷はその昔トゥアレグ族に征服され奴隷とされた他民族の子孫だといいます。このトゥアレグ族の奴隷が、ハウサ族(ナイジェリア北部ニジェールにまたがる地域に居住している)の一部有力者等に売り渡されることがあるということです。”五人目の妻”を所有していることは社会的地位の象徴とも見られ、複数の”五人目の妻”を所有することもできます。

 

つまり、ボコ・ハラムが今回「組織のメンバーと結婚させるか、奴隷として売る」と宣言したと伝えられているのは、正確には「誘拐した少女たちを”五人目の妻”として組織のメンバーに与えるか外部の男性に売り渡す」ということなのです。

 産経新聞の記事(これも「ジハード」なのか ナイジェリア過激派「売り飛ばす」)等で伝えられているところによると、ボコ・ハラムの指導者は「西洋の教育は終わるべきだ。少女たちは(学校を)去り結婚せよ」と繰り返し主張しているとのことですが、これはそのまま”五人目の妻”として結婚(正式な妻としてではありませんが)させるという彼らの行為に直結します。

日本のインターネット上での反応を見たところ、お金目当てで少女たちを売りとばすと勘違いしている人がかなりいるようですが、これは全くお金目当てではなく、「女子は学校など行かず結婚するべき」という彼らの信条(教義)の具現化を図ろうとしているに過ぎないのです。

 

本論からずれますが、同記事で「…イスラムでは伝統的に、ジハードで奪ったものは「戦利品」として分配され、女性や未成年者は奴隷として売買できるとされる。」と報じられており、日本のインターネット上で「女性や子供は戦利品=物扱い」という認識が広がっています。

疑問に思い少し調べたところ、コーランでは「ジハードで捕虜となった女性や子供は奴隷化される」と既定されているようです。つまり女性や子供はあくまで「捕虜」との扱いで、戦利品として扱われるわけではありません。戦利品については捕虜とは別の項目があり、分配の割合等を既定しています。

産経の記事では直接的に「女性や子供は戦利品となる」とは書いていませんが、意図的に誤解を誘う表現に思えます。事実、この記事を発端に「イスラム教では女性は物扱い」といった間違った情報が広まっており、誤認識によるイスラム教への偏見が増しているように思え、非常に残念です。

 

 話が二転三転しましたが、結局何が書きたかったのかというと、ボコ・ハラムの信条は、コーランの解釈としての妥当性や正当性は置いておいて、「西洋の教育は悪であり、女子は学校へ行かず結婚すべき」というもので、今回の犯行はこの主張に沿うものであるということ。

正直、最初に誘拐のニュースを聞いたときは驚きました。ボコ・ハラムは刑務所や学校、政府機関、市街や住宅地への襲撃、爆弾攻撃、自爆テロ等を繰り返していますが、誘拐事件は聞いたことがなかったからです。しかも、誘拐した少女たちを彼らの信条に則り”結婚”させるということ。 

今回どうして前例のない誘拐事件を起こしたのか、わかりません。でもなんだか彼らの行為が悲壮に見えます。残虐さで人々を恐怖に陥れるのではなく、自らの信条の正当性を必死に主張するような。

 

ナイジェリアでは急速な経済発展を遂げている陰で、市場経済の浸透や工業化、いわゆるグローバリゼーションとか欧米化と呼ばれる現象によって、従来の文化や慣習が崩れつつあります。こうした時代背景にあって、最近のアフリカの若者、特に男性は「失われた世代(lost generation)」と呼ばれ、失われつつある伝統的価値と急速に広まる外来の価値の間で居場所を失い、葛藤を抱えているというのは、もはや定説です。こうした葛藤が彼らを武装闘争へ向かわせる一つの要因でもあります。また、特にボコ・ハラムの拠点であるナイジェリア北東部は、植民地時代に開発された海沿いの南部に比べても、インフラ整備や全体的な教育レベルで大きく劣ります。困窮や失業もまた、彼らを武装組織へ誘う一つの原因です。

経済規模でアフリカ一に躍り出ても、地方へ行けばまともな学校など無く、電気も通らず、人々は未だに濁った池の水を飲んで暮らしています。ボコ・ハラムは西洋式教育の否定の他、ナイジェリア政府打倒を正式に表明しています。彼らの行為は、自分たちの文化的生活を壊した欧米や、それに追随しながらも公平な利益分配を行ってこなかった自国の政府に対する不信や反抗の極端な噴出なのではないかと思います。

 

ボコ・ハラムは聖戦を騙るテロリスト集団だと、簡単に批判する人が大勢います。欧米や日本が出て行って殲滅すべきだと。

それでこの地に平和が戻るでしょうか?血で血を洗えば、それが全てを流してくれるでしょうか。

筆者にはそうは思えません。それで一度はおさまっても、またいつか同じような悲劇が繰り返されるでしょう。

変えなければいけないのは、彼らを暴力行為に駆り立てた状況です。困窮、不平等、不信、将来への不安。これらを緩和することができなければ、テロとの戦いに終わりなど来るはずがないのです。 

メディアはボコ・ハラム(そしてイスラムそのもの)を実際以上に悪く見せようと躍起で、彼らの葛藤になど目もくれない。そんな人々の振りかざす「正義」がこの世で唯一無二の正義だと、どうして信じられるでしょう。

 

ボコ・ハラムを擁護する意図は全くありませんが、盲目的にイスラムそのものを批判したり偏った報道を鵜呑みにする人の多さに危惧を抱いたので、少しでも背景事情の理解に役立てばと思い、記事にした次第です。

長文お読み頂きありがとうございました。

 

国家の”天命” -ケニア独立50周年-

「五十にして天命を知る」とは、孔子論語の一説。

ここから転じて、50歳(の男性)のことを「知命」と言います。

 

今日2013年12月12日、50歳の誕生日を迎えたのは、東アフリカの経済大国ケニア。

最近では、ショッピングモールでの人質事件で世界の耳目を集めたケニアですが、

事件の舞台となった首都ナイロビは、アフリカ大陸で一、二を争う大都市で、

サファリ、マサイ等を始めとした観光資源にも恵まれ、ケニアの経済は勢いを増すばかり。

 

しかしその歴史は決して平坦ではなく、

結果的にイギリスからの独立を早めるきっかけとなったと言われる武装独立運動、通称マウマウ団の乱では、1万人以上の独立運動家が命を落としました。

 

いま、知命の50歳を迎えたこの国で、人々は何を思い、どんな未来を描くのでしょうか。

(原文:The Guardian "Kenya at 50: much to celebrate - and to worry about"

 http://www.theguardian.com/global-development/poverty-matters/2013/dec/12/kenya-50-celebrate-worry-about-independence, accessed on 12 Dec 2013)

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1963年の今日、ケニアは長きにわたるゲリラ戦を経て、

当時の植民地政府の指導者たちとの断続的な交渉の末、

ついにイギリスから独立を勝ち取り、

独立運動の指導者たちは独立の英雄と讃えられました。

 

独立を勝ち取ったその後、今度は民主主義を目指した長い旅路が始まりました。

2007年の大統領選挙の際は、選挙結果に異議を唱える人々が暴徒化し、制御不可能な事態へと発展しました。

この混乱で1200人以上が命を落とし、35万人が住まいを失い、仮設住宅暮らしを余儀なくされました。

騒動から5年が経過した今もこの遺恨は消えず、和解にはまだ少し時間がかかる状態です。

 

アフリカの民として、私たちはネルソン・マンデラ故南アフリカ大統領から学ぶべきでしょう。

マンデラがしたように、和解によってこそ本当の意味で国がひとつになるのだということを、私たちも示していかねばならないのです。

 

50歳を迎えたケニアには、誇るべきものが多くあります。

まず、ケニアは多くの偉大なスポーツ選手を輩出しました。

たとえば昨年のロンドン五輪で男子800メートルの世界記録を塗り替えたデービッド・ルディシャは、誰もが記憶していることでしょう。

スポーツ選手の他にも、ノーベル賞を受賞した環境保護活動家ワンガリ・マータイはケニア出身です。

彼女は、環境を守るには全ての人がそれぞれ役割を果たさねばならないのだと教えてくれました。

その他にも、ケニアにはこの国を偉大で現代的な国へと推し進めてきた多くの作家、芸術家、服飾デザイナーや起業家がいます。

 

ここ10年の間に、ケニアのインフラ設備やホテル、技術サービスは目覚ましく発達しました。

世界中の人々が家族を伴って首都ナイロビに来てビジネスを始めました。

しかしながら、貧困はケニアの抱える大きな課題であり続けています。

富者と貧者の格差は大きく、

ナイロビに住むエリートはヘリコプターや私有ジェット機で飛び回る一方、

わずかな距離を隔てたスラム街に住む人々は、1日1度の食事にありつくのがやっとです。

 

田舎へ行けば、人々は十分な食糧を栽培するのに苦心しています。

清潔な水や基本的なサービスにも満足にアクセスできず、

飢えの恐怖は日常的に存在します。

ケニア独立50周年のお祝いは、こういった貧困に対する永続的な解決策を見つけるためのきっかけとなるべきです。

 

国民国家としてのケニアは、民族、地域主義、腐敗といったものの負の力に未だに脅かされています。

こういったものこそが、人々を貧しく、脆弱にせしめる要因なのです。

今こそ私たちは、独立運動の頃のあの精神を思い起こさねばなりません。

宗教や部族、地域になど目もくれず、皆が協力するのだという、あの精神を。

 

独立記念の色鮮やかな花火の饗宴が終わったときには、

ぜひともこの50年の節目をひとつの契機ととらえ、

1963年12月の栄光あるあの夜に皆が夢見たよりも、

もっともっと前に進むのだと、そう決意しようではありませんか。

 

私たちの夢は、統一され、ひとつにまとまった国を築くことです。

皆がお互いを兄弟姉妹のように感じ、真に共感し、手を差し伸べられる国。

そして、不利な立場にある同胞の苦しみが、皆の心配となり、その解決に励むことが皆の責務となる国。

この夢を現実にするために、私たちは今までよりもっと努力をしていかなければなりません。

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この記事の著者の夢は、統一された国家を築くことでした。

独立の年に生まれたというこの著者も、今年で知命の50歳。

その実現のために尽力することが、彼の天命なのでしょう。

 

では、ケニアの天命とは?

貧困、格差、民族主義、地域主義、腐敗。

50歳のケニアには、まだまだ課題が山積しているようです。

きっと、国家の生き様は、天命などと一筋縄にはいかないものなのでしょう。

 

けれど、

少なくとも、全ての国民がそれぞれの思い描く天命を追えるようになれば、

国家としての務めは果たしていると言えるのではないかと、筆者は思いました。

 

アフリカ大陸から宇宙を目指して -エチオピアの宇宙探索計画-

私情により、随分と更新に間が空いてしまいました。

 

言い訳がてらご報告させて頂きますと、

私、前回更新の後に晴れて就職が決まり、NGO職員となりました。

現在は日本の地方部で暮らしております。

今はスリランカのプロジェクトの本部担当ですが、

いつかアフリカ駐在のチャンスがあればと夢見つつ、

早く組織に貢献できるように邁進していく所存です。

 

さて、本日は私も2度渡航したことのある、思い入れのある国、エチオピアの記事です。

エチオピアは未だに世界最貧国の一つに数えられていますが、

近年は高い経済成長率を維持しており、

政府もそれをふまえた野心的な成長戦略を公表しています。

 

そんな急成長を物語るかのように、このほど、

長い将来を見据えた宇宙探索計画を発表しました。

 

(ソース:http://allafrica.com/stories/201310210281.html?viewall=1, accessed on 23 Oct 2013)

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 エチオピアは先頃、宇宙探索計画第一期の計画を明らかにした。

この計画のもと、天文学の研究をすすめるため、エチオピアに東アフリカ最大の天文台が開業する。

天文台には幅1メートルもある望遠鏡が2台設置され、

太陽系外惑星や、種々の恒星、天の川、銀河などを見ることができるという。

 

 340万米ドル(約3億4000万円)をかけて整備されたこの天文台は、

エチオピア系サウジアラビア人の有力実業家の資金拠出により整備された。

天文台は首都アディスアベバの郊外、

標高3200メートルの緑深いエントト山の上に位置する。

ここは雲がかかることもほとんどなく、風もおだやかで湿度も低い、

天文台には理想的な場所だと、専門家は話す。

 

この天文台を運営するエチオピア宇宙科学会(ESSS)は、

2004年に設立された当初、「気ちがいの集まり」と揶揄された。

しかし、設立から現在に至るまでの10年の間に、

大学で天文学の講座を開講したことや、政治的な後押しを獲得したことで、

人びとの信用を得られたのだそうだ。

エチオピア政府は今後数年以内に宇宙政策を発表する方針だ。

 

過去には慢性的な飢饉や政治動乱に悩まされ、今もアフリカの最貧国のひとつであるエチオピアが、

宇宙探索に資源を投入することについては、国内外から疑問を呈されたという。

これについて、天文台の所長はこう語る。

「科学を振興することはエチオピア発展の鍵です。

エチオピアは農業に大きく依存しながらも、アフリカ随一の経済成長率を実現しています。

もしこの国の経済が科学と密接に結び付けられれば、

効率の悪い農作業を工業化し、現代的な農業形態に転換できます。」

 

エチオピア宇宙科学会(ESSS)は、2か所目の天文台設置にも期待を寄せている。

なんでも、所長は「天文ツーリズム」を活発化させたいと考えているようだ。

宇宙計画など絶対にありそうにない国であるエチオピアに宇宙ファンを呼び込み、経済的利益を獲得する、というものである。

また、エチオピアは今後3年以内に、同国初の人工衛星を発射する予定である。

 

所長によると、今後数年間の宇宙探索計画の中味は

研究とデータ収集の促進、

および天文学への国内・アフリカ地域内の関心喚起となるようだが、

いつの日かエチオピア人を宇宙に送り出す可能性についても、

「そんな日が来ればいいですね」と笑顔で話し、否定しなかった。

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現在も開発援助金が諸外国から多く流れ込むエチオピアにおいて

宇宙開発計画がすすんでいることについては、

文中にもあったように議論の余地があることと思います。

 

開発援助に関わってきた人間として一点指摘しておくとすれば、

援助の名の下で、無償で何かをもらうことや何かをしてもらうことに人々が慣れてしまうという現象は、エチオピアに限らず低開発国にはよく見られます。

それは援助する側にとっても厄介ですが、

援助される側においても、人々の自立心や向上心をそいでしまいかねません。

 

この宇宙開発プログラムがうまく進んでいけば、

もしかしたら、そのように援助慣れしてしまった人々に、

自分で目標を持って努力するとか、自力で何か成し遂げるということの大切さを再認識させてあげることができるかもしれません。

 

そんな願いも込めて、この記事を紹介しました。

 

まだしばらくは更新に間が空くかと思いますが、

一人でも多くの方に読んで頂くことが続けていく励みになります。

引続き、どうぞよろしくお願いいたします。

 

ハリウッドが教えてくれること -映画に見る開発課題-

皆さんはハリウッド映画や外国映画はお好きですか?

このたび、世界銀行が、数にして51の映画を「開発課題の映画的描写を探求するための入門映画」として選定し、推薦しました。

 というわけで、今回は、アフリカだけでなく、アフリカを含む開発途上国、紛争国に関する記事です。

 

(原文:the guardian; http://www.theguardian.com/world/2013/sep/04/hollywood-war-poverty-film;accessed 5th Sep 2013)

 

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国際開発課題というものは、平均的な西洋人が日ごろ考えることのリストの、まさに最後の方にある。

オックスファムなどによる、批判も多いがセンセーショナルな宣伝活動を除けば、人々はどういった手段で彼らを取り巻く世界について学んでいるのでしょうか?

 

ハリウッドはその手段の一つでしょう。

アフリカについての報道はアメリカではあまり注目を集めませんが、レオナルド・ディカプリオ主演のシエラレオネにまつわる映画は確実に注目されます。

「ブラッド・ダイヤモンド」のような映画は、問題もあることはさておき、シエラレオネの内戦の話を多数の聴衆に知らしめます。

この映画が取り上げた、いわゆる紛争ダイヤモンドについては、すでに聞いたことのあった人も多いでしょう。

しかし、この映画は、キンバリープロセス(ダイヤの原石に原産地証明書の添付を義務づけることで紛争ダイヤを国際市場から締め出すための制度)とその導入経緯についてわかりやすい説明をしてくれます。

さらに、賛否はあれど、この映画はおよそ171億円の興行収入をもたらしました。

 

ハリウッドの持つ影響力に鑑み、世界銀行の研究者たちが、このような映画が開発課題について実際どういったメッセージを発しているのか分析を行いました。

ふつう、批評家は複雑な問題の通俗的描写を簡単にはねつけます。

貧困や紛争の原因と影響を過剰に単純化して伝えることに懸念を示すのはもっともです。

しかし研究者たちはこの点を認識した上で、映画の視聴者の規模を考えれば、映画内での通俗的な描写を真剣に分析する必要があると考えます。

 

研究者たちは、大衆映画は開発課題の認知度を上げることができる一方で、しばしば視聴者に間違った情報を与えることもありうると結論付けました。

大衆映画で描かれる開発課題は、往々にして、映画の核となる要素ではなく、話の展開を後押しする要素として組み込まれています。

視聴者が重要な問題を知るきっかけとなるという意味では便利ですが、映画の最後にはこういった問題はいつの間にかなりを潜めているのが常です。

製作側の意図により、映画の最後に視聴者の印象に残るのは、登場人物とそのラブストーリーといったものなのです。

 

また、紛争を扱った映画は、比較的わかりやすい善と悪の二項対立によって紛争を描きがちですが、実際は全ての当事者に問題があるものです。

「紛争を扱った良作は、善と悪の単純対立を描くのをやめ、複雑な人間模様を描き出します。善と悪という概念の、時と場所によっての流動性と多義性そのものが、人類が悲劇を生み出す要素となりえる。しかしながら他方で、時にそれが、幸運でひたむきで時機を読める者にわずかな解決の機会を与える要素ともなりえる、ということを示そうとしているのです。」

 

映画の限られたストーリー展開の中で、開発課題は往々にして過剰に単純化されて描かれます。

より多くの視聴者に見てもらうことも大事ですが、単純化が事実の歪曲に近づけば、問題は大きくなります。

また、西洋人が世界の紛争や不平等に対する良心の呵責やジレンマなどで苦悩している姿を描く映画は、しばしば視聴者に教訓的・教育的な見方を提示し、そのような見方が開発課題の通俗的理解を形成していきます。

つまり、よく言えば開発課題への関心喚起や政治問題化へもつながりますが、他方で、こういった映画にはしばしば現地の声が欠如しがちだという問題点もあります。

 

以下の51タイトルが、研究者たちが推薦する映画です。

(筆者のほうで邦題のわかるものは邦題を付しました。

以下、原題・(製作年)・「邦題」の3項目を記載しています。

邦題のあとに?を付したものは、正式な邦題かどうか不明なものです。)

 

Apocalypto (2006) 「アポカリプト

Avatar (2009) 「アバター」

Bamako (2006) 

Beyond Borders (2003) 「すべては愛のために

Black Robe (1991) 「ブラック・ローブ」

Blood Diamond (2006) 「ブラッド・ダイヤモンド」

Cannibal Tours (1989) 「カニバル・ツアー」?

Casino Royale (2006) 「007 カジノ・ロワイヤル

Circle of Deceit (1981) 

City of God (2002) 「シティ・オブ・ゴッド

Critical Assignment (2003) 「クリティカル・リポート」

Dirty Pretty Things (2002) 「堕天使のパスポート

Entre Nos (2009) 

Even the Rain (Tambien la lluvia) (2010) 「ザ・ウォーター・ウォー」

Gandhi (1984) 「ガンジー

Gangs of New York (2002) 「ギャング・オブ・ニューヨーク

Gangster's Paradise: Jerusalema (2008) 「ギャングスターズ・パラダイス」

Hotel Rwanda (2004) 「ホテル・ルワンダ

In the Loop (2009)

Johnny Mad Dog (2008) 「ジョニー・マッド・ドッグ」

Journey to Banana Land (1950)

Jungle Drums of Africa (1953)

La Yuma (2010)

Men with Guns (1997)

Missing (1982) 「ミッシング」

Salaam Bombay (1988) 「サラーム・ボンベイ!」

Salmon Fishing in Yemen (2011) 「砂漠でサーモン・フィッシング

Salvador (1983) 「サルバドル/遥かなる日々」

Sin Nombre (2009) 「闇の列車、光の旅」

Slumdog Millionaire (2009) 「スラムドッグ$ミリオネア」

Tears of the Sun (2003) 「ティアーズ・オブ・ザ・サン

The Beach (2000) 「ザ・ビーチ

The Constant Gardener (2005) 「ナイロビの蜂

The Day after Tomorrow (2004) 「デイ・アフター・トゥモロー

The Fog of War (2003) 「フォッグ・オブ・ウォー マクナマラ元米国防長官の告白」

The Gods Must be Crazy (1981) 「ミラクル・ワールド/ブッシュマン

The Hurt Locker (2008) 「ハート・ロッカー

The Killing Fields (1984) 「キリング・フィールド」

The Last King of Scotland (2006) 「ラストキング・オブ・スコットランド

The March (1990)

The Mission (1986) 「ミッション」

The Motorcycle Diaries (2004) 「モーターサイクル・ダイアリーズ

The Painted Veil (2006) 「彩られし女性」

The Year of Living Dangerously (1982) 「危険な年」

Tsotsi (2005) 「ツォツィ」

Turistas (2006) 「ブラッド・パラダイス」

Under Fire (1983) 「アンダー・ファイア

Viva Zapata (1952) 「革命児サパタ」

Volunteers (1985) 「ピース・フォース」

White Material (2009) 「ホワイト・マテリアル」?

 

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日本でも有名なものも多いですね。

いくつかはご覧になったことがあるのではないでしょうか?

タイトルで検索すればあらすじが出てきますので、気になるものを選んで、秋の夜長に、是非ご覧になってみては如何でしょうか。

 

このような映画を観るとき、そこに描かれている世界の課題について、映画を見ることで何かを理解した気になるのではなく、そういう課題がおそらくは単純化されて描かれているということや、別の視点から見れば全く違ったストーリーが語られうるということ、そして、そもそも映画に反映されていない人々の視線など、より深く広い現実に思いを馳せて、今後も世界の課題について考えていくきっかけとして頂ければ幸いに思います。