Meanwhile in Africa...

アフリカで今起こっていることを日本の皆様に正しくお伝えするため、海外大手ニュースサイトの記事を日本語で要約して発信します。

エジプト抵抗運動の内幕

日本でも連日報道されているエジプトの前大統領支持者による暫定政権への抵抗運動ですが、

今回はその内側にせまった記事を見つけたのでこれを日本語で要約してお伝えします。

 

ソース:the guardian "Morsi supporters in Egypt pledge to die rather than disband protest" (http://www.theguardian.com/world/2013/aug/12/egypt-cairo-mohamed-morsi-camps) accessed on 13th Aug. 2013

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エジプト、東カイロのモスクの外に集うモルシ前大統領の支持者たちは、暫定政権による強制排除の脅威にも屈さず、もう2週間も座り込みを続けている。

 

ある主婦はこう語った。

「死ぬことなどどうだっていい。私たちには一つの信念がある。

時が来れば、皆死ぬ。

問題は、勇敢な殉教者として死ぬか、臆病者として死ぬかなのです。

私たちは殉教者として死にたい。」

 

7月3日に大統領の座を追われたモルシ氏の復権という抵抗運動参加者たちの要求が暫定政権に聞き入れられる見込みは日に日に薄くなっている。

反対に、抵抗運動の参加者たちの身の危険は日に日に増すばかり。

すでに二度、抵抗運動の参加者に対する大規模殺戮が政権に容認された。

政権側は座り込みの強制排除を明言している。

 

このような政権側の動きにも関わらず、座り込みキャンプは一層組織化され、守りを固めつつある。

さらなる流血のおそれを知りつつも、抵抗運動の参加者はどこへも行かない。

参加者の一人である教員はこう語る。

「座り込みキャンプが月曜日に攻撃されるという噂を聞いた時、私は走って戻ってきた。

私が死のうと死ぬまいとどうだっていい。」

 

一方で、キャンプ内に強力な兵器が蓄えられている可能性も指摘されている。

さらに、拷問の痕のある遺体がキャンプ周辺で見つかったと伝えられていることから、キャンプ内に拷問部屋があるのではないかという疑惑も存在する。

抵抗運動の参加者は、キャンプで暴力を受けるのは泥棒とスパイだけだと主張する。

抵抗運動の主力であるムスリム同胞団の広報は、

「泥棒はしかるべき報いを受けるが、その後にはキャンプの外に解放する」と語る。

 

また、抵抗運動の参加者はただ単に殉教したいだけで、西洋のうぶな感性につけこんでいるのだと見る者もいる。

これに対し、参加者側は、彼らは現状を本当に遺憾に思っており、もし抵抗をやめて暫定政権から何の保証もとりつけずに元の生活に戻れば、今以上の危険にさらされるのだと主張する。

そして、最近の暫定政権による殺戮を見れば、彼らにとって有効な保証といえばモルシ氏の復権より他にない。

 

参加者の一人はこう話す。

「私は永久にここにいるつもりだ。私たちの大統領が戻ってくるその時まで。

私たちは皆、民主主義に票を投じた。

しかし、一部の人々が広場に集まって、私たちの票をゴミ箱に捨てたんだ。」

 

抵抗運動の参加者も一枚岩ではない。

ムスリム同胞団の幹部は暫定政権との妥協を模索しているとの見方もある。

収監されている同胞団幹部を解放することを条件に、座り込みをやめるというものだ。

しかし、ムスリム同胞団のメンバーも含め、抵抗運動参加者の大部分は、このような妥協案を裏切り行為と見るであろう。

もしこのようなことになれば、抵抗運動参加者の間、そしてムスリム同胞団の内部に大きな亀裂を生じさせかねない。

 

ある参加者はこう語る。

「ないね、そんなことありえないよ。ムスリム同胞団の人間が妥協に応じるはずがない。

このために死んだ人がいるんだから。

もし同胞団の指導者が妥協に応じなんてしたら、人々は彼らから離れていくよ。」

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補足ですが、イスラムの教義において、人は殉教すれば天国へ行けるとされています。

これが人々を自爆テロに身を投じさせる背景でもあり、

この記事で触れられているように

「殉教するために」座り込みに参加する、という見方の出所でもあります。

 

圧制、迫害、貧困の中で苦労して生きることよりも、

殉教して神のもとへ行くことの方が魅力的に見えるとしたら、

殉教を望む彼らを止めることは容易ではないでしょう。

 

民主化は彼らに何をもたらしたのでしょうか。

民主主義とは何でしょうか。

エジプトにおける一連の出来事は、

日本の政治にもつながる普遍的な問題を提起しているように思います。