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Meanwhile in Africa...

アフリカで今起こっていることを日本の皆様に正しくお伝えするため、海外大手ニュースサイトの記事を日本語で要約して発信します。

聖戦士と"五人目の妻" -ナイジェリア少女誘拐事件の背景を読む-

更新が何か月も滞ってしまいましたが、その間にもアフリカでは色々なことが起こりました。

 今回は、日本でも盛んに報道されている、ナイジェリアでの少女集団誘拐事件を取り上げます。

 

ナイジェリアは筆者自身2011年に駐在していた思い出の地であり、ここのところ、今回の事件をはじめとしたナイジェリアの悪いニュースばかりが世界を駆け巡っていることを、個人的にとても悲しく思います。

 この事件は日本のオンラインニュースにも連日投稿されており、日本の皆さんもよく事態を把握されているものと思います。

しかし、その背景にまで切り込んだ記事は少ないのかなと思い、ここで取り上げることとしました。今回は、翻訳/要約ではなくて、色々なソースから情報を取ってきて(自分の知識もあわせて)まとめた記事です。

 

まず、今回の犯行を行った組織、ボコ・ハラムについて、以下の記事を見つけました。(ナショナルジオグラフィック日本語版「ボコ・ハラムとは何者か?」より)

「…5月に入り、ボコ・ハラムの指導者がビデオで犯行声明を出し、わずか9歳の少女たちを組織のメンバーと結婚させるか、奴隷として売ると宣言した。…」

 衛生テレビ・アルジャジーラの報道で聞いたところによると、誘拐された少女の大多数は12歳~15歳ですので、「わずか9歳の少女たち」とくくってしまうとかなり語弊があります。ボコ・ハラムの凶悪性を強調したいのだと思いますが、事実誤認を招く書き方は良くないですね。

しかし今回の主眼はこの点ではなく、その後の「組織のメンバーと結婚させるか、奴隷として売ると宣言」、この部分です。

 強制結婚か、奴隷か?少女たちは二つの(どちらも残酷な)未来のどちらかを強いられようとしているのでしょうか。

筆者もアルジャジーラの報道で知ったのですが、実はこの二つ、同じことを指しているようです。タイトルにした”五人目の妻”というのが、それです。”五人目の妻”とはどういうことなのでしょうか。詳細が気になったので調べてみました。

 

ボコ・ハラムが活動拠点を置き、シャリーアイスラム法)に則ったイスラム国家を築こうと画策しているナイジェリア北部は、イスラム教徒が多数を占める地域です。

同地域の主要民族はハウサ族(ナイジェリアには280程度の民族が存在しますが、大きく3つの民族に分かれると言われ、ハウサはその一つ)です。

 イスラムの戒律では、男性は同時に最大四人の妻を持つことが許されています。

ですから、”五人目の妻”は、イスラムの戒律では存在しえない、許されざる存在です。

しかし、ハウサ族の一部の男性には、”五人目の妻”が存在します。

ハウサ語で「サダカ(sadaka)」と呼ばれる”五人目の妻”は、既に四人の妻を持つ男性が、正式な妻としてではなく結婚した女性のこと。”妻”とは名ばかりで、その実は主人とその四人の正妻に仕える奴隷のようなもので、毎日家事や農作業をこなし、”夫”との性的関係も強要されるといいます。

「サダカ」という言葉は「施しもの」という意味で、もともとはアフリカで広く慣習化している「花嫁代償(bridewealth)」(婚姻時に新郎側親族が新婦側親族に金品を提供すること)を免除して娘を嫁にやる、という意味から結婚の一形態を表す言葉として使われるようになったようです。しかし、実際には、既に複数の妻を持つ男性に花嫁代償目当てで嫁に出される女性のことを指して使われます。(参考:UNTERM sadaka

この”五人目の妻”という慣習は、北に隣接するニジェールで現在も残る奴隷制として知られ、近年国内外から批判を受けています。ニジェールに住むトゥアレグ族は長くカースト制を維持しており、その最低カーストが奴隷です。奴隷は代々受け継がれるもので、現在の奴隷はその昔トゥアレグ族に征服され奴隷とされた他民族の子孫だといいます。このトゥアレグ族の奴隷が、ハウサ族(ナイジェリア北部ニジェールにまたがる地域に居住している)の一部有力者等に売り渡されることがあるということです。”五人目の妻”を所有していることは社会的地位の象徴とも見られ、複数の”五人目の妻”を所有することもできます。

 

つまり、ボコ・ハラムが今回「組織のメンバーと結婚させるか、奴隷として売る」と宣言したと伝えられているのは、正確には「誘拐した少女たちを”五人目の妻”として組織のメンバーに与えるか外部の男性に売り渡す」ということなのです。

 産経新聞の記事(これも「ジハード」なのか ナイジェリア過激派「売り飛ばす」)等で伝えられているところによると、ボコ・ハラムの指導者は「西洋の教育は終わるべきだ。少女たちは(学校を)去り結婚せよ」と繰り返し主張しているとのことですが、これはそのまま”五人目の妻”として結婚(正式な妻としてではありませんが)させるという彼らの行為に直結します。

日本のインターネット上での反応を見たところ、お金目当てで少女たちを売りとばすと勘違いしている人がかなりいるようですが、これは全くお金目当てではなく、「女子は学校など行かず結婚するべき」という彼らの信条(教義)の具現化を図ろうとしているに過ぎないのです。

 

本論からずれますが、同記事で「…イスラムでは伝統的に、ジハードで奪ったものは「戦利品」として分配され、女性や未成年者は奴隷として売買できるとされる。」と報じられており、日本のインターネット上で「女性や子供は戦利品=物扱い」という認識が広がっています。

疑問に思い少し調べたところ、コーランでは「ジハードで捕虜となった女性や子供は奴隷化される」と既定されているようです。つまり女性や子供はあくまで「捕虜」との扱いで、戦利品として扱われるわけではありません。戦利品については捕虜とは別の項目があり、分配の割合等を既定しています。

産経の記事では直接的に「女性や子供は戦利品となる」とは書いていませんが、意図的に誤解を誘う表現に思えます。事実、この記事を発端に「イスラム教では女性は物扱い」といった間違った情報が広まっており、誤認識によるイスラム教への偏見が増しているように思え、非常に残念です。

 

 話が二転三転しましたが、結局何が書きたかったのかというと、ボコ・ハラムの信条は、コーランの解釈としての妥当性や正当性は置いておいて、「西洋の教育は悪であり、女子は学校へ行かず結婚すべき」というもので、今回の犯行はこの主張に沿うものであるということ。

正直、最初に誘拐のニュースを聞いたときは驚きました。ボコ・ハラムは刑務所や学校、政府機関、市街や住宅地への襲撃、爆弾攻撃、自爆テロ等を繰り返していますが、誘拐事件は聞いたことがなかったからです。しかも、誘拐した少女たちを彼らの信条に則り”結婚”させるということ。 

今回どうして前例のない誘拐事件を起こしたのか、わかりません。でもなんだか彼らの行為が悲壮に見えます。残虐さで人々を恐怖に陥れるのではなく、自らの信条の正当性を必死に主張するような。

 

ナイジェリアでは急速な経済発展を遂げている陰で、市場経済の浸透や工業化、いわゆるグローバリゼーションとか欧米化と呼ばれる現象によって、従来の文化や慣習が崩れつつあります。こうした時代背景にあって、最近のアフリカの若者、特に男性は「失われた世代(lost generation)」と呼ばれ、失われつつある伝統的価値と急速に広まる外来の価値の間で居場所を失い、葛藤を抱えているというのは、もはや定説です。こうした葛藤が彼らを武装闘争へ向かわせる一つの要因でもあります。また、特にボコ・ハラムの拠点であるナイジェリア北東部は、植民地時代に開発された海沿いの南部に比べても、インフラ整備や全体的な教育レベルで大きく劣ります。困窮や失業もまた、彼らを武装組織へ誘う一つの原因です。

経済規模でアフリカ一に躍り出ても、地方へ行けばまともな学校など無く、電気も通らず、人々は未だに濁った池の水を飲んで暮らしています。ボコ・ハラムは西洋式教育の否定の他、ナイジェリア政府打倒を正式に表明しています。彼らの行為は、自分たちの文化的生活を壊した欧米や、それに追随しながらも公平な利益分配を行ってこなかった自国の政府に対する不信や反抗の極端な噴出なのではないかと思います。

 

ボコ・ハラムは聖戦を騙るテロリスト集団だと、簡単に批判する人が大勢います。欧米や日本が出て行って殲滅すべきだと。

それでこの地に平和が戻るでしょうか?血で血を洗えば、それが全てを流してくれるでしょうか。

筆者にはそうは思えません。それで一度はおさまっても、またいつか同じような悲劇が繰り返されるでしょう。

変えなければいけないのは、彼らを暴力行為に駆り立てた状況です。困窮、不平等、不信、将来への不安。これらを緩和することができなければ、テロとの戦いに終わりなど来るはずがないのです。 

メディアはボコ・ハラム(そしてイスラムそのもの)を実際以上に悪く見せようと躍起で、彼らの葛藤になど目もくれない。そんな人々の振りかざす「正義」がこの世で唯一無二の正義だと、どうして信じられるでしょう。

 

ボコ・ハラムを擁護する意図は全くありませんが、盲目的にイスラムそのものを批判したり偏った報道を鵜呑みにする人の多さに危惧を抱いたので、少しでも背景事情の理解に役立てばと思い、記事にした次第です。

長文お読み頂きありがとうございました。